やはり、罹ってしまった。まあ、これだけコロナ患者と接していれば、いずれは罹患してもおかしくない状況ではあったが、、すこし喉が痛いと思っていたら、いきなり高熱に見舞われた。おかしなもので、非常に熱が乱高下する。解熱剤を飲むとすぐ下がるが、またすぐ上がる。でも不思議と体はだるくない。やはりワクチンを3回接種していたからだろうか。エアコンの前にいると、熱が下がって、横になると熱が上がって、体温計が壊れているかと思ったよ。3日間ぐらいすると、熱が下がってきた。その代わり、痰がらみがひどくちょうどひどい風邪を引いた後の様な粘稠痰が出てきた。解熱剤と市販の漢方薬、桔梗石膏と排膿散で乗り切りったよ。39℃を超えたときは、マラリアを思い出したね。
いまから、30年も前になる。青年海外協力隊で薬剤師として赴任したときの事だった。成田から24時間以上かけて、ロンドンのヒースロー空港から、ザンビア共和国の首都ルサカに到着、すぐに寮に入り、その後オリエンテーションのあと、割とすぐに現地訓練といって、先輩隊員の赴任地に、いきなり放り込まれる。日本から出発して10日目だった。いまから考えると、ずいぶんと乱暴だなぁと思うよ。(笑)
オイラの現地訓練先は、南部州のマザブカという獣医師隊員のいる部落だった。いきなり、現地の人たちとの生活が始まり、先輩隊員は初日だけ、後は帰る1週間後にくるのみ、大変なカルチャーショックだったよ。でも、忘れられない思い出となった。この頃は、今後苦しむ事になるマラリアなんか気にもしていなかった。現地訓練の時の話は、またの機会にします。とにかく面白い話ですよ。
現地訓練が終わって、寮に帰ってくると、事務所のほうから、念のためマラリアの検査のために採血をおこなった。結果が分かるのが、1W後というから悠長な話だ。みな、現地訓練からかえって来て、その話で持ちきりだった。オイラの現地訓練の赴任地は、過酷なところだったみたいだ。(笑)
寮に帰ってすぐに保健省から通知が来て、明後日、現地に入って欲しいと、マンサ州立病院。おいおい、もうかよと思ったけど、ただでさえ、アキレス腱が断裂して、派遣が3ヶ月も遅れたので、保健省も焦っていたに違いないと思い、皆と早々に分かれて、一人現地に向かったよ。1500KMの長い旅だった。我々の隊次では、一番早い赴任となった。
マンサ州立病院は、北部のルアプラ州の州都に有り、ザイール(現在のコンゴ共和国)と国境を接している耐性マラリアの汚染地域でもある。耐性マラリアとは、クスリが効かないマラリアの事。全く効かないかと言えば、そうではなく最初に用いられるクロロキンには耐性で、その後にファンシダール、パルドリン、キニーネと適応があるが、副作用が強く出てくるらしい。隊員の中には、キニーネまで使用し、腎障害を患ってしまった者もいた。命を助けるためには、仕方ない事だったかもしれない。
初日に、赴任先の病院の院長や総婦長、看護学校、警察、軍隊に挨拶回りをして、午後から急に寒気がして、おかしいと思い体温を測ったら42度。マラリアである。体が痛く、食欲もなく、友人もなく、知り合いもいない。耐性マラリアのことは知っていたので、また死亡例も報告されていたので、マラリアになった精神的ショックのほうが大きかった。前のブログにも書いたけど、死を覚悟したよ。人間死ぬときは、悲しくないのに運命を受け入れるときに、無性に涙がこぼれたのをよく覚えている。無事生還したけど、最初のマラリアは本当にショックだったよ。日の丸を体に巻いてね。
コロナウイルスは、山中先生も言っているけど国民全体が罹って獲得免疫?になって、徐々に収束していくのだろう。スペイン風邪もたくさんの死者を出して、徐々に収束している。病院に勤めている後輩の薬剤師もコロナに罹った人の抗体価が30万の人もいれば、罹っているのに、ラベブリオのんでも1000しかない人もいるし、罹らないのに1万以上ある人もいるし、よく分からないらしい。結局、その人の寿命は神のみぞ知るということか。
ザンビアでは、お年寄りは尊敬されている。それは単純に体が強いからだという。マラリアや感染症に負けないで、長生きしているからだという。村に行くと長老の意見は絶対である。それはこのような理由だからだろう。
10日目にして、抗原キットが陰性になった。やはり待機期間というのは、統計学的ものだろう。医療従事者は早めの待機解除を言われているが、7日間の待機のあと、抗原キット2回陰性が要件となっている。今回コロナに罹患して、店を閉めることになった。個人事業主としては、大ダメージである。今後、対応を考えていかなければならない。閉店は、即 倒産になるからねぇ。うちみたいな、モスキート級の薬局ではね。