このコロナ禍、サクラが満開になった。そして葉桜、早いものだ。自然の力は素晴らしい。古来、日本人はサクラが大好きだ。今海外で咲き誇っているサクラも、日本から寄贈されたものらしい。春と言えば、別れと出会いの季節でもある。1年の節目にあたる。卒業式、入学式と慌ただしい。世のお父さんお母さん方も、はち切れそうなスーツを着てご子息の晴れの舞台を思い出に、と必死である。確かに卒業式、入学式、あるいは入社式は、記憶のどこかに刻まれている。
美空ひばりの遺作?の歌にもあるように、人生は地図のない旅との歌詞がある。まったくその通りだ。振り返ってみると、遠くに故郷がみえると、実に素晴らしい。先のことは、誰も分からない。自分で切り開いていくしかない。本当に山あり谷あり。たくさんの人との出会い、別れ 穏やかに過ごしたいと思うのは、年をとったせいだろうか?
薬局も、対物から対人にと業務改革を迫られている。かかりつけ薬剤師というのは、昔からの薬局は、地域に溶け込んで、OTCを売ったりしていた。時間外でも、裏口から痛み止めを売ってくれたもんだ。本当の意味での24時間対応を昔からしていた。今のように、24時間対応と言っても、顔の見えない薬剤師が、机上の知識だけで対応しているのと、訳が違う。次の日に町の開業医に掛かり、痛み止めをもらって、また帰りに薬局によって、病気の話をして帰ったもんだ。気軽に相談出来て、心の静謐をえられれば、また次も来てくれる。それを無理に点数化して、差別化を図ろうとしているのが、ナンセンスである。でも、薬局は弱い商売、人参をぶら下げると、弱いんだよ。
元々、医薬分業のスタートは何だったか?それは、病院が薬を出せば出すほど儲かって、薬漬け医療と非難されたからではなかったか?病院から、薬を切り離す手段として、院外薬局のシステムにしたのではないか。今度は、株式会社である調剤薬局が、儲かってけしからんということで、複雑、難解な訳の分からない調剤報酬になってしまった。お役人は、頭がいい。データーをとり、じゃあ今度はこうしようと、現場が解釈に困ると、通達といって、とても読みこめない解釈をする。昔の薬局は、みんな、かかりつけだったよ。床屋さんと同じ。それを、今の薬局はノルマ化して、薬剤師が競争しているという、異常事態。マスコミ、世間が知ったらどう思うだろうか?医療という公共性の高い仕事でいかかがなものかと思う。一つ足がかりを作っておけば、あとは、あとは役人が、その足ががりを元にまた次の手を考える。病院時代、理事長が診療報酬を追っていくと、自滅すると言っていたよ。後発品を増やして、人参ぶら下げても、一向に医療費は圧縮されない。そればかりか、不祥事が続いている。
春になると、人々は桜が咲くのを心待ちにしている。今度は、桜が散るのが気になり、落ち着かない。人の心が穏やかでないのは、桜が咲くからだと、、表題の歌は、その桜の素晴らしさを歌った歌である。
桜は、一斉に咲き誇るから美しい。春の訪れである。一斉に散るのも桜、これが悲劇と結びついたのも、記憶に新しい。しかし散ったあとの葉桜にも、あたらしい命の息吹が満ちあふれている。
コロナの変異株が、猛威を振い始めている。一刻も国民の8割が接種出来るように、我々も協力していきたい。そうすれば、徐々に収束していくというデーターもあるらしい。イスラエルがあれだけ早くワクチン接種を勧めているのは、国の事情があるからだ。イスラエルは、四方を敵国に囲まれている。人口の減少が、国家の衰退に直結するからである。我が国も、平和ボケしているお国の事情を、皮肉にも反映していると感じるのは、私だけだろうか?どう、板さん