性善説(せいぜんせつ)とは、人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。なお、今日「性善説」という言葉は「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする楽天主義」という意味で用いられることが少なくないが、本来は正しくない。孟子も朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いている。
四端の心
孟子の「性善説」とは、あらゆる人に善の兆しが先天的に備わっているとする説である。善の兆しとは、以下に挙げる四端の心を指す。なお「端」とは、兆し、はしり、あるいは萌芽を意味する。
- 惻隠…他者の苦境を見過ごせない「忍びざる心」(憐れみの心)
- 羞悪…不正を羞恥する心
- 辞譲…謙譲の心
- 是非…善悪を分別する心
出典 ウィキペディア(Wikipedia)
人間は、本来いいやつなんだと思う。しかし、何でも修行しないと世の中悪がはびこっているから、ダークサイトに落ちてしまうのだろう。修行とは、読書や自分を様々な環境下に置くことにより、自身を客観的に見ることである。4つの心は、実習生にも最初に教える事柄である。社会人になるには、様々な人間と仕事をしなくてはならない。そのときに、ともすれば流されてしまって、気がついたらダークサイトに落ちていたなんてことがよくある。そのために忘れてはならない心である。この4つの心を忘れているのであれば、もはや人間ではない。なにもその人の道徳観、宗教観を否定するものではない。最初に、海外で仕事をしたとき、いろいろな人種、宗教、道徳、文化に触れることがあった。日本人の感覚からすれば、驚きのことばかりだったが、彼らの長い間の文化を否定するようでは、彼らとやっていけない。ずいぶん悩んだよ。でも、受け入れて対話することから、相手を認めることから突破口が開いたと今は思っている。相手を否定することからはいると、結局は自分に返ってくる。情けは人のためならず、昔の人は、偉かったね。ジン