生老病死

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生老病死とは、人間生まれてから死ぬまでの避けられない苦悩といわれる。地球が生まれてから約46億年といわれている。宇宙の始まりは138億年前と言われているから、気が遠くなるような昔々の話である。人類は、長い長い進化を経て今日がある。でも、宇宙にも寿命があると言われている。地球に限って言えば、大きく太陽の寿命に依存している。太陽も同時期に地球と誕生したのであるが、太陽系のエネルギー源である水素は限りがあるらしい。実は、太陽のエネルギー源である水素は、核融合と呼ばれる化学反応を起こし、ヘリウムを作り出している。この際に莫大なエネルギーを放出している。そのエネルギーが地球に届くまで8分かかる。そう、我々が見ている太陽の光は、太陽から出発して8分後の光を見ているのだ。その太陽の水素が無くなってくると、徐々に膨張し始めると言われている。太陽が大きくなり赤色巨星と呼ばれる星の終焉を迎えるのだそうだ。太陽が大きくなると言ってもとてつもない大きさ、地球を飲み込むほどの大きさになるらしい。それは50億年後といわれている。じゃあ人類はどうなるのか?地球が太陽に飲み込まれたりすると、とても人類は生きていけない。戦争なんかやっている場合で無いのだ。だから盛んに宇宙開発をして、移住出来ないか探っているんだよ。

人間として進化した途中に、人間の体には様々な祖先の足跡がある。例えば、どうして大動脈弓があんな形になっているかご存じだろうか?長い長い進化の過程で環境に適応すべく、水中から陸地に上がって肺が発達し鰓が退化した。進化論は余り詳しくないので、細かい説明はできない。自身で調べて見るとおもしろいかもしれない。もう一つは、人体を構成する元素、鉄だ。酸素をは運ぶためのヘモグロビンの材料になっている金属であるが、これは近くで超新星爆発がおこりそれが地球に降り注いで、大地を構成する成分の一つになったそうだ。人間の体は、太古の昔、宇宙大変動の時期に起こった様々な事件がきっかけで、できあがったものなのだ。有機物から徐々に微生物が出来そして長い長い年月を経て、人類が誕生した。でも、地球もそうだけど、寿命がある。ヘイフリック限界という聞いたことも無い言葉がある。これは、細胞の分裂が有限で有りそれは、テロメアという物質?が遺伝子にくっついて、それが細胞分裂を起こすとだんだん短くなってきて、細胞分裂しなくなる、いわゆる老化と死が訪れるらしい。よく分からないが、細胞分裂のカウントダウンが遺伝子にくっついていて、それが細胞分裂をする度に、カウンターが減って行くと考えれば良いのだろう。

薬局なんかやっていると、当然患者さんが来る。ある日、患者さんの娘さんが、薬局を訪れ、父の薬をお願いしたいとやってきた。処方を見ると、あまり扱ったことのない薬だった。聞けば、遠方の病院に通っており、最近こちらに引っ越してきたらしい。その後本人がやってきて、よろしくお願いしますと。とても気さくな楽しいおしゃべり好きなお父さんだというのが、第一印象。その後何度か、薬局にお越しいただき、お話ししているうちに、一度酒でも飲んで話をしないかと、お誘いを受けた。なかなか時間が取れず、やっと都合をつけて、近くの酒屋に行った。以前も行ったことがあるらしく、店の前の車止めで転倒し、顔を怪我されたことがあると言われ、歩かれるときに横について介護?して差し上げた。

聞けば、同郷。なにか親近感がわいてきた。小さいとき、大きな回船問屋?だったらしく、大金持ちだった。ところが、当時の船は木造船、工場には材木が山とつまれていたそうな。そんななか例の洞爺丸台風が襲ってきた。この台風により、回船問屋は全焼、工場も大量の木材とともに、全焼した。文字とおり、無一文になったという。それから極貧の生活が始まったとのこと。しかし、彼は、頭脳明晰、苦労して進学し、一流企業に就職した。国を支える基幹産業である。その後彼は、全国規模の会社だったので、全国を飛び回り定年された。酒を酌み交わすうちに、彼の生きざまが垣間見えた。けっして調子が良いわけでなく、私の話に付き合ってくれて、本当に感謝しかない。

昨日、お母さまから、本人が感謝の言葉を言いたいとのこと。店を閉めてから、慌てて伺った。意識が混濁する中で、しっかり私のことを認識してくれ、ありがとうと言われた。私は返す言葉がなかった。さぞかし、お母さま、娘さんはご苦労されたとおもう。こういったとき家族の苦悩は、いままで何度も見てきた。でも、家族もつらいけど、本人も死地に赴くための恐怖と不安と戦っているのだろうと思うと、受忍?しなければならないのかと思ったりする。彼は、こうも言っていた。お金は使うためにあるんだ。お金なんか残して何になる。最近、さまざまな患者さんがいる中で、使い切れないほどの大金を持っていても、幸せでない人が少なからずいる。死んだばあちゃんも、貧乏で健康なのが一番幸せなんじゃと、まあ程度問題だけどね。

最後に玄関でお別れする際に、彼は車椅子にのって、私が深々と挨拶をすると、両手を合わせて、感謝の意を表してくれた。玄関を出る際も、再度合掌してくれた。本当にあなたはすごい人だ。世話になった人に、最後に自分の言葉で態度で命を懸けて感謝の意を表してくれた。

今朝ほど、静かに息を引き取ったという。今頃は笑顔で虹の橋を渡っているだろう。また、再会したら、今度も酒を酌み交わし、またお話をしませんか?それまで、しばらくお待ちください。本当にありがとうございました。

 

 

2025年5月2日